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68円のおにぎりと17円のポテトコロッケを一つ。

運動の前にそれだけ買って、道の途中にある公園のベンチに座ってむしゃむしゃと食べる。それがいつの間にか日課になった。コロッケも、もちろんおにぎりも手づかみで。

ソースと油でベトベトの指先を気にしながら、前方に不格好で見たことのない花が咲いてるなー、とぼんやり見つめていると、白くて大きな犬を連れたお姉さんがその前を横切った。行儀がよくて雪だるまのような犬。そういえば少し前、その場所には真っ青な紫陽花が咲いていて、嘘みたいに青いなあ、と自然のつくりだす色の深さに驚いたことを思い出す。あの花は紫陽花だ。あんなに綺麗だったのに、今はとてもヘンな形だ。

そのヘンな植物が紫陽花である、だとか、紫陽花の散り際がダサイだとか、そんなどーでもいいなんの足しにもならないことには『余裕』がないと気付かないんじゃないか。と思う。僕の周りの人はみんな忙しそうだ。というか、日本人はみんなセカセカと常に熱心に働いている。朝、スーツを着たサラリーマンは大抵が俯いて、早足で歩いている。どういう気持ちで働いてるんだろうか。その程度の急ぎが何かしらの仕事の足しになるんだろうか。その毎日は楽しいのか。

『余裕』ができるとそういう日本の風景がみえてきて面白い。スタバで聞こえてくる女子高生の早口に耳をすますことも、偶然隣に座った見知らぬ人に思い切って声をかけてみることも、TSUTAYAの店員さんにオススメ映画を尋ねることも、『余裕』がなかった頃はできなかった。今はそれができていて、わたしはたいへん恵まれていると思う。しかしまだ満足はしていない。もっと沢山の景色が見たい。別の国へも行ってみたいし、できるだけ何でも受け入れて、ぜんぶ楽しんでやりたい。

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余裕がある

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